
京都に河鍋暁斎が、またまたやってきました。
10年ほど前に、京都国立博物館で大回顧展が開かれましたが、
その後も、ちょこちょこと関西に部分的にはきています。
奇想天外な作風、幅広い技法、迫力ある画力は、海外でも人気です。
今回の美術館「えき」KYOTOにて紹介されている作品は、
世界屈指の暁斎コレクターのイスラエル・ゴールドマン氏の所蔵品で、
初お目見えも含まれます。
7月23日まで(会期中無休)と、長い期間楽しめる祇園祭のお客さまターゲット。
明日のプレミアムフライデーは、17時から先着50名様に記念カード進呈
だそうですよ。ほか、週末の三味線ライブイベントなどで盛りあげています。
河鍋暁斎(かわなべきょうさい)は、天保2年〜明治22年(1833〜1889)までの
日本の幕末から明治に当たる激動の時代を生きました。
すでに3歳から絵を描いていて、7歳で歌川国芳に入門、狩野派も学び終え、
20歳の頃には絵師として活躍していたようです。
和洋を問わず、さまざまな流派の画風を吸収し、肉筆画、浮世絵版画、
仏画、戯画、風刺画、春画など、ジャンルを問わず描きまくった画業人生。
晩年、外国人の弟子も取りました。どんなコミュニケーション術を使って
いたのでしょう?河鍋暁斎本人の顔写真を見ると、如何にも只者ではない感じ。
酒宴の真っ最中に、即興で描かれた得意の鐘馗さんの掛け軸からは、
水墨画の勢い良い技もさることながら、ユーモラスなひととなりが垣間見えます。

代表作のひとつ「地獄太夫と一休」
夜毎繰り返される座敷遊びのうち、一休の法話で悟りを開いた地獄太夫〜〜
という件の絵ですが、太夫の着物に描かれた細かく鮮やかな地獄絵図に、
爪弾く髑髏の三味線。浮かれ踊る一休禅師は、洒落頭(しゃれこうべ)と云いたい
ところでしょうか(笑)
独創的発想力、そう、古来日本には魑魅魍魎や付喪神、彼の世と此の世を
行き来する「百鬼夜行図屏風」に描かれるような世界があるのです。
夢現つか幻か。。。もしれませんが、遍く受け入れる多様性に富んだ自然界。
暁斎が描く達磨、七福神、蛙に烏。。。。
共生している人間臭さが現れていて、慈しみと面白味を感じます。

せっかく来たのだからと、伊勢丹地下で <京都甘いもん>
「仙太郎」にて、見た目涼しげで可愛らしい老玉を使った夏のお菓子。
抹茶餡とこし餡の2色。上に載った寒天が紫陽花みたいです。
ひとくちサイズが、上品な奥方のおもたせとして喜ばれました。
創業約130年の仙太郎、奇才河鍋暁斎の声は京にも届いていたでしょうか。

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