2016年 01月 07日
京都「えき」美術館『京薩摩焼展』 |
今日は正月七日、人日の節句。
七草の入ったおかい(粥)さんを食べて無病息災を願う日ですね。
年明けて早や一週間です。わ〜〜。
石垣島のレポート、あんなに前振りしておきながら申し訳ないですが、
会期の期日に限りがあります故に、こちらの展覧会を先にレポート
させて頂きます。
ただいま、美術館「えき」京都にて開催中の
わずか明治期から数十年の間に隆盛した『京薩摩』と呼ばれる焼物。
全国でも珍しい、幕末、明治の金工・七宝・蒔絵・京薩摩に特化した
私設美術館である清水三年坂美術館
の収蔵品を中心に70点あまり、本家薩摩焼と大阪、神戸の作家物も含めて、
利便性の良い京都駅ビル美術館で公開しています。
素晴らしい技巧、精緻な作風。まさに「超絶技巧」「細密華麗」
石垣島から帰って、すぐ飛んで観に行きました。
京都駅に降り立ってポスターを見たら、観ざる聞かざる……
とは、到底できませんでした。
南の島に行かれたことのある方には、ご察しのコトでしょう。
都会に戻って来ますと本能的に一時期、細かく繊細で精巧で儚なげな
美しいモノを欲するのです。
それぞれに、土地が育む美しさや美味しさがあるわけですが、
ドップリ浸かり過ぎるまでにもゆかない放浪旅の異邦人は、
住み慣れた地元文化が抜けきれないものです。
京都の焼物で「京焼」「清水焼」「楽焼」は聞いたことがあっても
「粟田焼」は、今や知られていないかもしれません。
そして、その粟田焼の窯元で「京薩摩」が製作されていたことも。
粟田焼の発祥は、東山区三条粟田口付近。
京都市立美術館、京都近代美術館などがある岡崎公園南側、青蓮院があるあたり。
昔は窯業の一大産地でした。岡崎地区にも陶土が採れた時代です。
現在もギャラリーが立ち並び、焼物卸業の会社の看板が残り、
美濃吉さんのような有名料亭が軒を連ねる、古きよき美術界の時代の名残を
止めている地域ではあります。
にしても、島津藩のお膝元で栄えた本薩摩を完全に、
京都風以上の代表作品にしてしまった京焼職人の魂は素晴らしい。
いったいどんな筆で絵付けしていたのでしょう?
登窯焼成で、こんなに繊細な重ねの色目が表現できるのでしょうか?
素焼きのあと、薩摩焼独特の貫入が入った卵肌素地に本焼きして、赤や青の
色絵付けを錦窯で低温焼成し、さらに金彩して定着させるために窯で焼成。
最低4回焼かねばなりません。
明治博覧会以降、明治政府の輸出製品の花形になり、海外輸出向けに作られた
数え切れないロット数、この粟田口付近だけで本当に供給できたのでしょうか?
(東京や横浜、大阪でも薩摩を焼いていたそうですが、
京薩摩は品質も人気も断トツだったそうです。しかし輸出するには京より海側。
繊細な製品のこと、利便性からいっても栄えたのは当然です)
鹿児島の陶芸家沈壽官氏は、当代15代目。そのお家芸ともいえる
「透かし掘り技法」この技術を習って、京都で陶土を調合して
焼いていたというのですから、驚きの探究心です。
会場には二重にも三重にもなった、蜂の巣のような透かし作品が展示されています。
絵付け師は、狩野派の流れを汲む絵師でもありました。
完璧な轆轤師、絵付師、窯焚き師、そして販売経路をも一括する
プロデューサー、各部門のプロフェッショナルの分業制で成した事業
だったことでしょう。
お正月に相応しい、華やかな展覧会。京都の奥深さを知る良い企画です。
なんといっても、淀みのない筆の運び。24Kを使用していた羨ましい時代。
小さなお茶碗に千羽以上の蝶々が飛び、何色も重なった江戸美人の着物。
今でも十二分に存在感があります。
このような美術品を求めるパトロンは、もう現れないのでしょうか。。。
技巧の研鑽を促すのは、需要があってこそですが。。。
by mottainai-amata
| 2016-01-07 15:33
| 観てみよう展覧会
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