新潟から船で佐渡へ行き来するとき、<小木港><赤泊港><両津港>の
三つの港のいづれかを利用することになります。
面白いのは航路も国道になっていて、一本の350号線なのです。
<新潟県直江津港〜小木〜佐渡のS字のウエスト〜両津港〜新潟港>
佐渡汽船は、カーフェリーと(大型客船)とジェットフォイル(超高速船)があります。
カーフェリーで約2時間30分(二等約¥2700)、ジェットフォイルで約65分(¥6520)
(今年の4月8日から両津港〜新潟港に新しい「ときわ丸」が就航しました。)
ただし、フェリーの時刻表が季節や奇数・偶数日によって違うため、
よく確認してください。そしてジェットフォイルは、定員数も本数も少ないので、
早めの予約が無難です。(帰路はそれが原因で、えらいこっちゃ!でした。)
もちろん空路もあります。新潟空港から佐渡空港まで、わずか25分(¥6500)です。
雨上がりの実にいいお天気でした!
デッキで海を眺めながらのゆったりしたカーフェリーもいいですよ。
船上二階フロアーから、タラップとの接続もオットット……の手動。
埠頭ではロープを引いて、引き寄せるクルーの姿。

着いた小木(おぎ)の町並みは、ピカっ黒光りした瓦の載せられた板張りの家が密接。
まずは腹ごしらえ。目指すは小木蕎麦。創業約200年「七右衛門」

お品はこれのみ。盛り蕎麦。薬味ネギ。ワサビなし。
つゆは基本アゴ出汁でした。付け合わせの胡瓜の醤油漬けもやや甘み勝ちでした。こちら地方は、寒い地域でも甘めなのかな?佐渡は蕎麦の産地でもあります。田舎蕎麦風のボソッとした素朴な蕎麦。
このお店で例の佐渡の仙人の「佐渡土人形・のろま人形」の洗礼を受け、向かいの陶器屋さんで気になりながら、一路「宿根木(しゅくねぎ)」へ。

ナント!この竹で囲われた塀が、宿根木の集落の入り口。
コレハ、和風客家(はっか)の要塞か?
小木は新潟県でも有数の竹細工で知られた土地で、町の建築の至る所に竹材が
使われる。

「石置木羽葺(いしおきこばぶき)屋根」という薄い板を重ねて石が載せられる。
風で飛ばされないように。とのこと。(沖縄だったら、一台風ごとに葺き替えだ)
集落のうち公開している民家は2軒。その一軒が「清九郎」推定建築年代弘化3年(1846) 復元年代幕末〜明治初

オマエ(家族の居間)にて、ボランティアの方の説明を聞く。
船底のような杉板張りの粗末な外観からは想像もできない
ナント!贅沢な造りの住宅。年代物の欅や檜、松材。。
総溜塗仕上げで、床も柱も引戸もピカピカ。
土蔵も板張り、隣近所が密集しているというのは防犯上の知恵かもしれない。
何より怖いは、火災。

ズラリ歴代の大黒さんが並ぶ。徐々に大きく素材も立派に成長していく様が、
一家の繁栄ぶりを表している。

動かすことはできない、造り付け仏壇は金の欄間、破風屋根でお荘厳。


二階の客座敷は、大きな幅の両面に四季を描いた襖絵。
床柱はもちろん、繊細な面取り、磨きがかけられた一本一本の内装材。
ナゼにこのような豪邸なのか?と。
実はここ小木・宿根木は戦国〜近世初頭にかけて、千石船の廻船業を営む者が
居住し、佐渡の富の三分の一を集めたと言われるほどに栄えた時代があった。
村には船大工をはじめ造船技術者も多く、一村が千石船産業の要塞だったのだ。

立派な空間にして、ナンド(主人の寝室)の窓はこんなに小さい。
これは開口部の大きさで課せられた税金対策だったそう。
京都の町家の鰻の寝床とおんなじ。

家の離れには「自家製 室(むろ)」
隆起した花崗岩でできた土地だから、岩山を掘って部屋を造る。
中は湿度も保たれひんやりして、自然の冷蔵庫として使った。

「三角家」主屋、納屋、土蔵すべて密集した集落には、どうしようも区画整備
などできようもない。して、こんな三角家を建ててしまった。
ここがJR東日本のキャンペーンポスター撮影地。サユリスト必見。
いや、しかし普通のカメラじゃぁ、あんな風には写らない。
二三歩バックしたら、川ポチャだもの。


鎌倉末に開かれた「称光寺」時宗は上人が全国行脚したという。
ここ宿根木は一村全戸が称光寺檀家。
村には、白山神社、熊野神社もある。ある人から聞いたが、熊野信仰の民は
修験道の神力か、金脈(錬金術)をも嗅ぎ分ける民が多く、全国の富める土地には
必ず熊野神社が遺るという。
調べると、ここ佐渡島は面積の割に熊野神社が点在する。特に金山で栄えた
相川地区には多い。
あっ、そうです。小木のシンボルは「たらい舟」
チャンチキおけさを唄う暇すらないんだから、舟に揺られる暇もなし。
お宿にたどり着く前に、行っておきたい能舞台。
いそげー。

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