2013年 09月 22日
夏休み自由研究報告会 明石・淡路島の巻 |
お彼岸になりましたが、また暑さが戻ってきたり…
「暑さ寒さも彼岸まで」とはいうものの。
秋へのシフトは行ったり来たり。
この夏に、休日を過ごした土地での体験。
頭の中で整理しながら振り返りつつ(勃発的ですが)
徒然おつき合い頂ければ…

晴れ渡る空 浮かぶ明石海峡大橋
海が遠い京都人なので、キラキラ光る海を見ただけで
なんだかテンション上がります。

お久しぶりの「魚の棚」通称「うおんたな」
400年前、明石城とほぼ同時期にできた市場。
350mのアーケードの下、約110件の店が並びます。
以前来た時に比べて、アーケードが綺麗に新調されて明るくなってます。
足元の意匠は、ウロコモチーフですね。



ちょうど旬でした。明石名物干し蛸。蛸飯にしたり、炙ってお酒の友に。
ビローンと広げられた大きなものは、まさにゲリラカイト…凧みたい。
「安ぅしますよ〜。買ぅてって〜」
あちこち立ち止まった店先からの掛け声。
でも、以前訪ねた「うおんたな」の活きさはない。
よく見ると、所々シャッターが閉まったままの店も目立つ。
以前はこんな風景は、定休日の店以外に見られなかった。
そんな店が目立たないほど買い物客も多かったし、
隣の店まではみ出るほど商品が並んでいた。
“お昼は、あのお鮨やさんで!”
と、決めていた安くて新鮮で、美味しい庶民的なお店。
小さな蛸壺型の器に、柔らかくて甘辛のお醤油の香の蛸煮。
ところが、あるはずの場所にお店はなくなっていた。
残念というか、寂しい現実。
明石海峡大橋の下を通って淡路島の近くまで、ぐるっと周遊してくれる
蛸の絵を描いた「蛸フェリー」これもすでに4年前になくなっていた。
今年は、阪神淡路大震災から19年になる。
商店街のアーケードが刷新されたて湧いたのは、8年前。
景気が落ち込み観光客が減ってきて、ここもまた大型店舗に顧客を
取られていく、イチ地方商店街の問題に直面していると感じた。


湾に停泊したままの錆びれた船… 雑草も生えてしまっている。
瀬戸内、大阪湾につながる近海の底引き網漁も、ワカメやノリの養殖も
かつての勢いを全く感じられない。
水平線と青空を分断する海辺のマンションが見えるのみ。


この老舗は、健在。「林喜(はやき)」 明石といえば「焼き穴子」
ご飯が隠れるくらい一面に載せられた、芳ばしい穴子。
平日のお昼にしてはリッチかと思うけれど、常連らしきサラリーマンの姿。


ヨカッタ!こちらも、健在。 「いづも」 明石といえば「玉子やき」



地元の人は「明石焼」と呼ばず、「玉子やき」という。
数ある店の中で、お持ち帰りも人気の美味しいファストフード店。

中はとろとろ 外はぱりっと。火傷しそう、でもあつあつが一番。

明石は日本のおへそ。子午線の通る街。子午はその名の通り
子(ネズミ)午(ウマ)を通る南の太陽の位置に重なる線。
この地点を日本の正午と定めるおへそ地点。

蛸フェリーはなくなったけれど、淡路島までの定期便 市民の足は運航。
せっかくの良いお天気だから、淡路島へ出発。



震災より19年。
当時の地震の爪痕を遺す記念館「野島断層保存館」
ここへ来るまでの道路はガランとしていて、休耕になった畑や田んぼが
目立つ。記念館までは意外と遠かった。
「めっきり観光客も減りましたよ。海水浴の時くらいですかねー。
地元の若いもんも出ていくし、住むのは年寄りばっかりです。」
と、タクシーの運転手さん。
最近また東北の方で、震度5クラスの大きな揺れが起こっている。
断層の影響で、大きく曲げられた側溝や庭の植え込みなどを見ると、
計り知れない力で台地のプレートが押しやられたんだと思う。
過去の歴史的には、何百年に一度の大地震かもしれない。
でも、日本列島はどこでも起こり得る地震大国。
夏休みで子供連れの親子も見学に訪れていた。何もなかったかのように
見える街に住んでいると忘れてしまいそうだけれど、風化させることなく
語り継がれていかなくては。と思う。
しかし、遠いとこまで足を運ばなくては見られない生きた貴重な資料だが、
もう少し見学料金が安くならないかな?と感じた。
政府側が負の遺産の保存を希望したならば、来訪者数を増やすためにも
大人¥700 高校中学¥300 は正直高い。
そして、パネル展示でなく、もっと遺構についての生身の人間の説明が必要だ。
昨晩、NHK ETV特集にて「復興はしたけれど〜神戸新長田区再開発・19年目の現実」を見た。
(再放送9月28日0時45分~)
焼け野原で更地になった長田地区を、三ノ宮や新神戸のような都市に復興させる
“副都心化計画” 県や市が率先して2700億円投じて進めた。
昔は下町の賑やかな商店街だったが、オシャレな近代的高層商業ビルやマンションが
立ち並び、街の様子は一転した。活気が戻り、生き返ったかのようにみえた。
しかし、現在はシャッターが降りたまま「テナント募集」の貼り紙ばかり。
借金を抱えてインテナントか、土地を売って長田から移るか迫られた住民は、
ゆっくり検討する時間も猶予もないままに都市計画のレールに乗せられた。
「辞めたくても(借金で)辞められず、売りたくても買い手がおらず、
貸したくても借り手がおらん。どうすることもでけん。苦しい生活ばかり。」
「東日本大震災の復興のお手本になるどころか、早まり過ぎた間違った復興計画
を繰り返さんように現状を訴えるだけ。」
と長年この土地で商いしてきた住民は言う。
本当の復興は?再建は?誰のために何を意味するのだろうか。

↑クリックして頂くとブログランキングにカウントされます。
応援して頂けると嬉しいです。
「暑さ寒さも彼岸まで」とはいうものの。
秋へのシフトは行ったり来たり。
この夏に、休日を過ごした土地での体験。
頭の中で整理しながら振り返りつつ(勃発的ですが)
徒然おつき合い頂ければ…

晴れ渡る空 浮かぶ明石海峡大橋
海が遠い京都人なので、キラキラ光る海を見ただけで
なんだかテンション上がります。

お久しぶりの「魚の棚」通称「うおんたな」
400年前、明石城とほぼ同時期にできた市場。
350mのアーケードの下、約110件の店が並びます。
以前来た時に比べて、アーケードが綺麗に新調されて明るくなってます。
足元の意匠は、ウロコモチーフですね。



ちょうど旬でした。明石名物干し蛸。蛸飯にしたり、炙ってお酒の友に。
ビローンと広げられた大きなものは、まさにゲリラカイト…凧みたい。
「安ぅしますよ〜。買ぅてって〜」
あちこち立ち止まった店先からの掛け声。
でも、以前訪ねた「うおんたな」の活きさはない。
よく見ると、所々シャッターが閉まったままの店も目立つ。
以前はこんな風景は、定休日の店以外に見られなかった。
そんな店が目立たないほど買い物客も多かったし、
隣の店まではみ出るほど商品が並んでいた。
“お昼は、あのお鮨やさんで!”
と、決めていた安くて新鮮で、美味しい庶民的なお店。
小さな蛸壺型の器に、柔らかくて甘辛のお醤油の香の蛸煮。
ところが、あるはずの場所にお店はなくなっていた。
残念というか、寂しい現実。
明石海峡大橋の下を通って淡路島の近くまで、ぐるっと周遊してくれる
蛸の絵を描いた「蛸フェリー」これもすでに4年前になくなっていた。
今年は、阪神淡路大震災から19年になる。
商店街のアーケードが刷新されたて湧いたのは、8年前。
景気が落ち込み観光客が減ってきて、ここもまた大型店舗に顧客を
取られていく、イチ地方商店街の問題に直面していると感じた。


湾に停泊したままの錆びれた船… 雑草も生えてしまっている。
瀬戸内、大阪湾につながる近海の底引き網漁も、ワカメやノリの養殖も
かつての勢いを全く感じられない。
水平線と青空を分断する海辺のマンションが見えるのみ。


この老舗は、健在。「林喜(はやき)」 明石といえば「焼き穴子」
ご飯が隠れるくらい一面に載せられた、芳ばしい穴子。
平日のお昼にしてはリッチかと思うけれど、常連らしきサラリーマンの姿。


ヨカッタ!こちらも、健在。 「いづも」 明石といえば「玉子やき」



地元の人は「明石焼」と呼ばず、「玉子やき」という。
数ある店の中で、お持ち帰りも人気の美味しいファストフード店。

中はとろとろ 外はぱりっと。火傷しそう、でもあつあつが一番。

明石は日本のおへそ。子午線の通る街。子午はその名の通り
子(ネズミ)午(ウマ)を通る南の太陽の位置に重なる線。
この地点を日本の正午と定めるおへそ地点。

蛸フェリーはなくなったけれど、淡路島までの定期便 市民の足は運航。
せっかくの良いお天気だから、淡路島へ出発。



震災より19年。
当時の地震の爪痕を遺す記念館「野島断層保存館」
ここへ来るまでの道路はガランとしていて、休耕になった畑や田んぼが
目立つ。記念館までは意外と遠かった。
「めっきり観光客も減りましたよ。海水浴の時くらいですかねー。
地元の若いもんも出ていくし、住むのは年寄りばっかりです。」
と、タクシーの運転手さん。
最近また東北の方で、震度5クラスの大きな揺れが起こっている。
断層の影響で、大きく曲げられた側溝や庭の植え込みなどを見ると、
計り知れない力で台地のプレートが押しやられたんだと思う。
過去の歴史的には、何百年に一度の大地震かもしれない。
でも、日本列島はどこでも起こり得る地震大国。
夏休みで子供連れの親子も見学に訪れていた。何もなかったかのように
見える街に住んでいると忘れてしまいそうだけれど、風化させることなく
語り継がれていかなくては。と思う。
しかし、遠いとこまで足を運ばなくては見られない生きた貴重な資料だが、
もう少し見学料金が安くならないかな?と感じた。
政府側が負の遺産の保存を希望したならば、来訪者数を増やすためにも
大人¥700 高校中学¥300 は正直高い。
そして、パネル展示でなく、もっと遺構についての生身の人間の説明が必要だ。
昨晩、NHK ETV特集にて「復興はしたけれど〜神戸新長田区再開発・19年目の現実」を見た。
(再放送9月28日0時45分~)
焼け野原で更地になった長田地区を、三ノ宮や新神戸のような都市に復興させる
“副都心化計画” 県や市が率先して2700億円投じて進めた。
昔は下町の賑やかな商店街だったが、オシャレな近代的高層商業ビルやマンションが
立ち並び、街の様子は一転した。活気が戻り、生き返ったかのようにみえた。
しかし、現在はシャッターが降りたまま「テナント募集」の貼り紙ばかり。
借金を抱えてインテナントか、土地を売って長田から移るか迫られた住民は、
ゆっくり検討する時間も猶予もないままに都市計画のレールに乗せられた。
「辞めたくても(借金で)辞められず、売りたくても買い手がおらず、
貸したくても借り手がおらん。どうすることもでけん。苦しい生活ばかり。」
「東日本大震災の復興のお手本になるどころか、早まり過ぎた間違った復興計画
を繰り返さんように現状を訴えるだけ。」
と長年この土地で商いしてきた住民は言う。
本当の復興は?再建は?誰のために何を意味するのだろうか。
↑クリックして頂くとブログランキングにカウントされます。
応援して頂けると嬉しいです。
by mottainai-amata
| 2013-09-22 00:05
| 街に美を漁る会
|
Comments(0)
















