『朝鮮王朝の美「毛綴織」展』 |
東京のお客さまが、日経新聞の文化面で見つけた。
京都に行く日を、展示期間中に合わせてご上洛された
そうです。
「もうアナタ、素ん晴らしいから、行って見なさぁい↑
ワタシなんて、もう、一日2回も見に行ったんだから〜。」
「展示は、もっ、もう23日20時までですか・・↓ 」

急ぎ、烏丸室町蛸薬師にある「京都芸術センター」へ。

展示会は『朝鮮王朝の美「毛綴織」展』


京都芸術センターは、元「明倫小学校」でした。この立派な
折上格天井のある大広間は、地元の有志達が寄付して設立
した、市井小学校のシンボルのひとつ。
室町の呉服問屋の市民が、お茶や仕舞のお稽古場としても
使用していたそうで、地域交流の場でした。
「展示会場が、並々ならないのよぉ。これまたピッタリで。」
なるほど。確かに品格ある部屋に王朝文化の遺産を飾るのは、
背景ともしっくりなじんでいます。
東京暮しの方からすれば、こんな小学校での展示会場なんて、
それだけで高揚するおはなし。まして入場無料。
「京都って、何度来ても、いいっわよねぇ〜。」
と、なるわけです。

この貴重なコレクションの持ち主は、(財)祇園祭山鉾連合会
理事長 吉田孝次郎氏。
自らも鉾町に住み続け、祇園祭の伝統を支えてこられています。
「朝鮮綴」とよばれる毛織物は、かつて祇園祭の装飾品だった。
世界の染織美術史にも染織品分類にも現れず、朝鮮半島にも
ほとんど残っていない。どこで、どんな技法で作られたかも
わからない。19世紀李王朝の朝鮮で作られ、朝鮮通信使などの
行き交いで日本に伝わり、あらゆる芸術品が集まってきた京都に
入ってきたらしい。
吉田氏は、「雛祭りの敷物として、代々使ってきたものだが、
保管して後々まで残してほしい。」と、恩師から一枚譲り受けた。
それから半世紀。研究しながら収集した「朝鮮綴」は、60枚。
遠くは、パリやアムステルダムでも見つかった。


意外と剛毛な(野生の羊か山羊の)横糸、綿を縦糸に用いてます。
よく見ると素晴らしいのは、織り分けされていて、違う織りの
パターンが鳥の羽になっていたり、織った上から顔料で手彩色
してあったり、複雑な手の入れようなのです。
文様も、5羽鶴・玉取獅子・蓬莱山などの吉祥模様が華やかに
綴られています。上の写真の四角なものは、袋からだされた
琴であり、一枚の画面に「琴棋書画(きんきしょが)図」
が表現されています。


ほとんどの色は、毛の原色か天然の草木染めですが、鉄媒染
などで染めた色は、長年の間に劣化して剥がれ落ち、隙間の
縦綿糸が見えています。

李王朝時代の高級茣蓙。
もう並々ならぬ(笑)細かな打ち込みで、凹凸をだし、
原料は藁か藺草でありながら、シルクのような艶です。


織りに付いたゴミを取っておられた吉田氏に
「衣桁に飾っておられるのが、会場の雰囲気に合ってますが、
どれぐらいの重さなのでしょう?」
この問いから、次々と解説を閉場時間までしてくださいました。
江戸の文献には「朝鮮綴」とは書いてないが、「彩花席」
「雑花席」「花席」と書かれた敷物に当たるのは「朝鮮綴」
を指すのではないか。
(席とは床に座る文化であった朝鮮での筵であり、花は模様、
色があることを表す。)
京都近郊の亀岡市、大津市、岐阜県高山市などでも祭礼の幕
として残っていることもわかってきた。
現在、どこにも織られていたことを示す決定的な手掛がないので、
本国にも研究の蓄積がほとんどない状態。
「これからの人生の愉しみに、残しておるんですよ。」
嬉しそうに笑っておられました。
ひとつの出会いが、自分の生涯をかけた浪漫に繋がる
こともあるのですね。
すばらしい朝鮮王朝の美の一端を、またひとつ発見しました。
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