バターケースにこだわり |
紅葉目当ての観光客でいっぱい。やはり京都の人気は高くて、
大和大路通りは毎日交通渋滞です。
暦は22日より小雪となり、空気も冷たくなりました。
島根県にあります「出西窯」をご存じでしょうか?
こちらの窯は、戦後間もなく5人の若者が集まって開かれた、
比較的新しい民窯です。
その最初のメンバーの一人多々納弘光さんと、親しくされている
Tさんが、注文なさった幻のバターケース。
<三彩釉を打ち掛け、脚を踏ん張って堂々としたデザインは、
沖縄の厨子甕を彷彿とさせます。>
「待ちに待ったバターケース、届いたわよ。うちだけで楽しむのは
モッタイナイ。あまたさんで、たくさんの方に見てもらって。」
という嬉しいご厚意で、しばし里子をお預かりすることに。
なぜ幻かと申しますと、多々納さんは御歳85才。去年大病された
こともあって、焼き物の仕事は若い世代の方に譲られました。
現在出西窯の商品にはない、かつて作っておられたバターケース。
私も工房を訪ねたときに、お茶を頂いた和室で、松本民芸家具の飾棚に
飾っておられた蓋物を記憶しています。
あれは、バターケースだったのですね!とても立派だったので、
その時は思いもしませんでした。黒釉で揉み和紙を使った幾何学的な
デザインでしたので、印象に残っていました。
目の前のケースは、同じ形でデザイン違いです。
Tさんは、いずれ遺作となるかも?と仰ってました。
1947年(昭和22年)まったく焼き物の土壌のなかった島根県出雲の
斐伊川のそばで始められた出西窯。
柳宗悦・浜田庄司・バーナード・リーチなど、様々な民藝の指導者が
この地を訪ね、叱咤激励しています。
河井寛次郎は、麻の開襟シャツに蝶ネクタイで汽車から降り立ち、
窯を視察したそうです。
<仕事が仕事をしています/仕事は毎日元気です/できないことのない仕事
/どんなことでも仕事はします/嫌なことでも進んでします/進むことしか
知らない仕事/びっくりするほど力出す/知らないことのない仕事/
聞けば何でも教えます/頼めば何でも果たします/仕事が一番好きなのは/
苦しむことが好きなのだ/苦しいことは仕事に任せ/さあさあ我らは
楽しみましょう(河井寛次郎「火の誓い」の中の仕事の詩より)
1950(昭和 25)年、民芸運動の河井寛次郎が出西窯を訪れたときに、
大きな紙に大書した言葉である。それ以来、河井の考えのようにおおらか
にのびのびと楽しく仕事をしようと、出西窯では毎朝、朝礼で仕事の詩を
全員で朗唱している。 >(出西窯HPより)
多々納さんは、民藝運動の先駆者から直接指導を受けた
最後の世代のお一人でしょう。講演会などで活気に満ちた
当時の民芸の交流関係のエピソードを伺うと、多々納さんの
真っ直ぐで、清らかなお人柄に心洗われる思いです。
バターケースとは、和製英語だそうです。英語はbatter dish
冷蔵庫で固くなり過ぎずバターを保存するための容器ですが、
食卓に置くと食器と同様。贅沢なようですが、おしゃれな
こだわりの器。だからdish なのでしょうね。
弊店でお世話になってます木工作家 川上嘉彦さんの新作。
寄木作りの蓋が素敵なバターケース。
着色していない、木が持つ本来の色で組み合わされています。
スリットにぴったり収まる、真鍮と木で作られたバターナイフも
セットでお使い頂くと、さらにかっこいいです。
お誕生日のプレゼントなどに好評です。
「自分では贅沢な気がして買いにくいけど、もらったら嬉しい
ですよね。」と若い方が選んでくださるのが、私も嬉しいです。
こだわりのbatter dish は、いかがでしょうか?
↑クリックして頂くとブログランキングにカウントされます。
応援して頂けると嬉しいです。