鳥取県若桜鉄道で行く窯元&蔵元の旅 其の弐 |
次に目指す窯元は「牛の戸窯」最近はアパレルのビームスなどが
紹介したり、民藝の本に必ず載っていたりして有名です。
江戸の後期に雑器を作る窯として始まり、明治初期に全盛期を迎え、
昭和初めに衰退していた窯ですが、鳥取の「民芸のプロデユーサー」
こと吉田璋也が再興させました。民芸運動に関心を持っていた四代目
小林秀晴氏に、柳宗悦や河井寛次郎を引き合わせる機会を与えたのも
吉田でした。現在の当主孝男氏にも受け継がれています。
お邪魔したとき、工房にはたくさんの作品が並んでいました。
去年末に窯出しした状態だそうです。
民芸の窯らしく、日常使う皿・鉢・湯呑み・コーヒー碗など。
吉田の発案した「筆立付き水滴」「黒と緑釉の掛け分け皿」も。
歴代の代表作「五郎八茶碗」もありました!
登窯で焼かれた作品は、発色の変化が大きく、釉掛けする作品の
一定のレベルを保つことの難しさが伝わります。
「筆立付き水滴」
他の作品とは別に、ガラスショーケースに入れられていた
一枚の「掛け分け皿」 私は、このお皿が欲しかった。。
残念ながら「それは残しておきたい皿なので、ダメです。」
と言われてしまい。。
昔の牛の戸窯は、掛け分け皿といえば、伊羅保釉という黄色の
鉄分が多い釉薬と、黒い釉薬だったそうです。それを見た吉田が、
緑釉とのコントラストにしてみるように勧めて、評判になったので、
定番商品になったようです。
目の前のお皿は、古いものだったのかなぁ。。
仕事場の奥の扉をガラリ開けると、
「わー、登窯だー」
「小屋の屋根なんかは、去年立て替えたんです。
お金が余って、余って、しょうがなかったからね。」ニヤッ笑
おもしろい方です、小林さん。
「そうそう、その場所に着物姿の樋口可南子さんが立って、写真撮り
されたんだ。なんだったっけ?「和楽」あの本に載ったんだよ。」
私が立つ位置を差して仰る。
「それでたくさんお客さんが来て、お金が余ったんですね。」ニッ笑
「本見て来た人、一人もなかったよ。」ニガ笑 アララ・・
普通の窯は、このような大きな煙突が後方に作られます。
先ほど見学した「因久山窯」は、やっぱり特種な形でした。
小林さんの写真も載った「和楽」を拝見して、次へ。。
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