京仏師の工房をご訪問 |
「近畿地方の奥座敷 手仕事のおはなし」
そのなかの「大和の国=彫刻(仏像)」のご紹介で、
現在、仏師を生業になさってる方は、どんなお気持ちで
作っておられるのかな?と。
同じ大和大路五条にて、京仏師の工房を開いておられる
冨田珠雲さんの元へ、見学・インタビューさせて頂きました。
手仕事の現場を訪ねる時は、いつもワクワクです。
冨田珠雲さんは、今こちらの「十一面観音像」を彫っておられる
ところです。高さ約2m50cm、仏像の大きさの基準となる
「丈六仏(じょうろくぶつ)」の大きなクスノキの観音様です。
工房に入ったときから、とても清々しい樹の香りがしています。
おおよその観音像は、香木を用いるそうです。
こちらは師匠のお父様。珠雲さんは16歳から仏師の世界に
入門し、大谷大学で仏教の勉強をしながら彫り続け、21年
になるです。この大和大路五条の工房を構えて、8年。
「ご自由に見学してください」と入口はOPENになってますので、
お隣が公益社の会館ということもあって、毎日多くの方が立ち止まり、
時には質問されるそうです。珠雲さんは、仕事の手を止めて丁寧に
質問にも答えておられました。普通ではなかなか、街中で佛さんを
彫っている風景を見ることってないでしょう。
珠雲さんは、「せっかくの伝統工芸、モノ作りが根付いた京都だから
仕事風景を見てもらって、関心をもってもらいたいと思うんです。」
それで、ガラス張りのウィンドーにされたそうです。
確かに清水焼の産地ではありますが、きっとどこかで作業されている
であろう姿はどこにも見られません。見せる意識とは離れています。
ふと立ち止まったご縁で、仏像を彫って欲しいと依頼される方も
おられるそうです。特に他府県から大勢の方が来られる京都ですから、
これまでにも珠雲さんは、全国へと納めてこられました。
現在製作中の観音像も、福井県の「薦福山 宝慶寺」という
700年前に開山された曹洞宗、永平寺の第2道場であるお寺へ
お納めされるそうです。
写真を比べながら、師匠よりアドバイスを受ける球雲さん。
墨入れされた観音像は、修正されながら彫られていきます。
観音様の後のお顔の一つは、宝慶寺のご住職が自ら彫られるそうです。
「彫仏が好きで、この観音様も自分で彫ろうとしはったけど、
さすがに断念して、でもあきらめきれへんで困ってはった
ところ、偶然うちの工房の前を通らはったんですわ。」
そんなご縁もあるのですね〜。
このご住職さんは稀なケースですが、珠雲さんは、
<ただ依頼を受けて、作り始め納期までに仕上げて、お代を
戴いて、終わり。といった商品化した彫刻とは違う、
もっと縁を大事にした仏像作りをしたい。>と言われます。
それで、製材する段階で信徒さんにノミ入れをしてもらったり、
製作途中をお納めするお寺に運んで、意見を聞いたりされる
そうです。それが大きな仏像でも、です。
現にこの観音様も行ったり来たり、沖縄までも旅されました。
沖縄〜というのは、実は理由ありで。私もまさか沖縄のお話が
伺えるなんて、びっくりでしたけど。それは、手仕事の会ででも。
<仏像を作る=仕事ではない。仏教の教え・布教が大事なので
あって、遺されるモノを作ることが使命やと思います。>
一時期、なんのために彫るのか、作るのか。。悩まれた珠雲さん。
尊敬する比叡山の大阿闍梨から戴いたお言葉、
<この世から哲学と美術は、けして無くなりはしない。>
それから<遺したいと思ってもらえる、遺される美を作ろう。>
そう決心して、探求される毎日だそうです。
たいていの仏師工房では、大仏師が全体の指揮をとり、
下絵を描き、製材し、下絵を元に彫り進め、その間
光背や、手、腕、台座、持物(じもつ/法具・宝珠など)
様々な仕事を、弟子と協力して分業で仕上げていきます。
最後に彩色する場合は、塗師が請け負います。
みな、根気と集中力のいる大変な作業です。
珠雲さんの工房では、大きさは大小ありますが、年に8体
ほど製作し、ほか修復の仕事もあるそうです。
珠雲さん26歳のときの渾身の作品「不動明王像」
大阿闍梨とのご縁は、このお不動さんのお導きだそうです。
とっても可愛らしい「大黒さん」十代のお作ですって。
「たぶん今作ったモノよりも、このほうがいいモノが出来てる
と思います。」一生懸命さが伝わる素直な大黒さん。
生命ある木から仏像が生まれる、長い苦労が報われて
喜びが生まれる、貴重な経験をして欲しいと彫仏教室を開いて
おられます。
美しい仏像が千年、何百年と遺されているのが、いかに凄いことか
改めてわかりますね。
冨田珠雲さん、Sさん、お忙しい中ありがとうございました。
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