熊野初詣 |
7日は年の始めの節句「人日(じんじつ)」
関西では主に七草粥を食べて、無病・邪気祓いを願う
習慣があります。お粥ではない地域もあるようです。
(お正月にくたびれた胃を、休める為のお粥とも?)
もともと中国から来た節句で、正月一日から
(鶏・狗・猪・羊・牛・馬・・)と一日ずつ獣畜の、
新しい一年の運勢の占いを立てて、その動物をその日は
食べない。としてきました。七日目が、人に当たるので
「人日」というそうです。
(人の場合は、食べない代わりに罪人を罷免したそうです。)
運勢は、お天気も左右されるそうです。お天気が良ければ
幸あり。尚よろし。と。
お正月三日に、和歌山県新宮市へ熊野初詣へ参りました。
新大阪より特急くろしおに乗って4時間。紀伊半島、侮れません。
(飛行機なら沖縄まで往復できてしまう。。。)
この日は、大変いいお天気で、沖縄に負けないくらいの
爽やかな青空と海が、車中から眺められました。
前日は、曇りで寒かったそうですが。
(たまにはのんびり、乗り換えのない電車で小旅行もいいですね。)
何故に突然「熊野詣?」 それは本人もわからナイ。
気づけば、残席1の特急券を買って乗ってました。
電車は海岸縁を走るので、コバルトブルーの澄んだ海が
目の前に広がってきれい。ただ、所々海岸に流れてくるはずもない
巨大な樹が打ち寄せられています。昨年の台風の傷跡です。
こんなに穏やかな海も、ある時は恐ろしい牙を剥きます。
自然に対する畏敬の念を、忘れてはいけない昨年でした。
特急は乗車時間が長いので、和歌山市を過ぎた頃から、
はとバスのように観光名所の案内アナウンスがはいります。
「万葉集で有名な田子の浦が、右手に見えます〜」
「熊方熊楠の記念館は〜」「山手にミカン畑が〜」
「速度を落として走行しますので、ごゆっくりご覧ください。」
サービス満点で退屈は、しないんですがね。。。
着きました世界遺産の地・新宮。駅の側の観光案内所にて確認
したところ、熊野三山(本宮・新宮・那智)の本宮へお詣りする
には、バスの本数が少ないために、明るい時間に戻ってくることが
できないようです。(初詣三が日といっても特別はナシでした。)
ならば、歩いて移動できる新宮市内で詣でましょう。
駅から西へ歩くこと約20分。
丹塗りの太鼓橋を渡ると「神倉神社」入口。
左手に進み行くと大きな鳥居。すぐ背後には急勾配の石段!
観光案内所の男性曰く、
「高所恐怖症ならオススメできないステキな階段」
思わずのけぞるステキな階段は、538段。
源平合戦の際の熊野の功労を賞して、源頼朝が1193年
寄進したものだそうです。称して「鎌倉積み」
石の高さや奥行、自然のまま。バラバラで、デコボコなので、
慣れてないと何処を選んで上がってよいやら。。
地元の老若男女が次々上がって行かれるも、手摺りが
あるわけでもなし。まぁよく事故もないこと。
行きはヨイヨイ帰りはコワイ。。
真ん中辺りで少しなだらかになりました。ホッ。
しかし目的地は、まだ上に。
お社の前は、新宮市街と熊野灘を一望できます。
まるで自然と一体になって、鳥にでもなったかのような景色。
神倉山(かんのくらやま)の標高80mほどにある
神倉神社は、ご神体が「ゴトビキ岩」熊野地方の方言で、
「ヒキガエル」のことだそうです。
「天磐盾(あまのいわたて)」として日本書紀に登場します。
神の磐座として崇拝されてきた巨石は、自然崇拝のご神体。
この神倉山も権現山で、仏が神として権(かり)に現れる山。
と言う意味。熊野速玉大社の摂社とされていますが、歴史は
古く、神降臨の神域として重要な場所だそうです。
平安後期以降は、熊野三山の神仏習合によって、修験者の
神聖な行場となりました。
西を背にそびえる山は、海がどんなに明るく光っていても、
影を落とし、鬱蒼とした雰囲気が漂っていました。
やっとこさ下山して、徒歩15分ほどの「熊野速玉大社」へ
向かいます。暑くて上着は要らないくらい。
権現山に囲まれた新宮の街、この街自体が霊場のようです。
霊場で暮らすことが、常の生活。外から見れば不思議な街。
熊野速玉大社に着きました。
曼荼羅図には、先ほどの神倉神社との位置関係も記されて
います。熊野三山の中で社務を統括する熊野別当の本拠が
新宮に置かれていたこともあって、特別な地位にありました。
熊野御幸を最多34回はたしたという記録を持つ、後白河上皇
(1127〜1189)は、私が住む京都東山区にも縁ある人物。
三十三間堂脇の法住寺に隠居されていたこともあり、東大路通り
下がった今熊野神社は、上皇が京都で熊野信仰を広めるために
御霊を授かって祀った分拠点です。
現在の社殿は昭和28年に再建されたもので、彩色も鮮やかですが
熊野三神をはじめとする十二所権現ゆかりの神像が祀られ、
すべて国宝・重要文化財です。神倉神社の神々を新たな神殿
速玉大社に移したのが「新宮」の地名のおこりであると
いわれます。
こちらは平坦、ステキな石階段もありませんので、
多くの参拝者がお詣りでした。
大きく、立派な注連縄です。出雲大社も立派でしたが、
ここも拝殿規模に比べたら大した大きさです。
八咫烏は、熊野権現の使い。三本足の烏。
日本サッカー協会のシンボルマークになっています。
境内の梛(なぎ)の大樹は、国指定天然記念物。
樹齢千年、高さ18m、幹廻り4mの大きさ。
梛は熊野のご神木です。針葉樹なのに幅広い葉をしています。
葉を笠などにかざすことで、帰りの道中を守ってくれる魔除け
として信心されてきたそうです。
新宮は多くの個性的な文化人も生んでいて、
街のあちこちの碑や記念館を訪ねるルートMAPもあります。
速玉大社の側には、作家佐藤春夫の記念館。
帰り道、駅近くには、西村伊作のスイス風の記念館。
かつて歌人与謝野寛・晶子夫妻や画家石井伯亭などが
集う文化サロンだったそうです。
あいにくどちらもお正月休みでした。
新大阪行き最終の特急が、17:45。
強行軍の小旅行でしたが、楽しかったです。
心残りは道中に見つけた「めはりずし」専門店「めはりや」
定食を戴く時間はとれず。
しかし地元のスーパーで、「さんま姿ずし」を購入。
聞けば、お正月の最高の寿司魚らしい。三陸沖から南下した
潮にもまれた身は、引き締まって油も落ちるとか。
酢で締められたさんま、たしかに美味しかったです。
弊店始業式からの祝い酒「熊野川」南紀の珍味「うつぼの
唐揚げ煮」も手に入れて、和歌山をあとにしました。
あまた、ただでは還らぬるかな。
熊野古道の歩き方HP
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岩場の上に聳えるお社が、なんとも霊験あらたかな。。
海側の文化って、なんとなく香りが似てる気しませんか
目の前に迫る広大な海への畏敬の念からでしょうか
パワースポットの力がまた、宿りましたね!
きっとご利益満載ですよ★
※「めはりずし」食べたいです さんまも美味しそう
生まれるのでしょうね。とにかく昔の人の、未開の地へ
たどり着くまでの苦労を想像すると、一心の想いですよね。
特急で4時間、ありがたや〜〜。
今度、京都で御利益もらってお帰りくださいね。